【著者】田崎健太
【発行】株式会社カンゼン
四六判/272ページ
2018年10月15日発売
ドラフト外で入団した選手たちが、どう主力選手へと成長したのか?
丹念な取材からドラフト入団組以上にドラフト外入団組の過酷さ、厳しさを映し出していく。
同時にドラフト外での入団はその時の当人に対する評価だけでなく、そこに携わる球団や関係者、当時の様々な事情や背景も絡んでおり、そこから生み出された様々なドラマがあった。
【ドラフト外】
日本プロ野球では、1965年にドラフト制度が導入された後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。
初期のドラフト会議では、指名して交渉権を得ても入団を拒否されたり、逆に球団が交渉権を放棄することも多く、その穴埋めとしてドラフト外入団という制度が必要だったのである。
1965年から1992年までにドラフト外入団した選手は663人いた。2012年にドラフト外最後の現役選手だった石井琢朗が現役を引退したため、ドラフト外入団をした現役選手はいなくなった。
【収録選手】
石井琢朗(88年ドラフト外)
石毛博史(88年ドラフト外)
亀山努 (87年ドラフト外)
大野豊 (76年ドラフト外)
団野村 (77年ドラフト外)
松沼博久・雅之(78年ドラフト外)
≪球史に刻む名選手、フィーバーの立役者、華麗なる転身≫
大切なのは運とタイミング。ちょっとだけ実力かな(石井琢朗)
迷惑がかかることはわかっていた。それでもプロへ行きたかった(石毛博史)
ドラ外を隠し球という人もいるけど、ぼくは裏庭で生えてきたタケノコみたいなもの(亀山努)
大したピッチャーじゃなかったから、壁を乗り越えるきっかけを見つける時間があった(大野豊)
どんなに素晴らしい才能があっても、戦う気持ちがない選手は成功しない(団野村)
流れで生き残れた。プロ野球選手は少々変わり者じゃないと出来ない(松沼博久)
大切なのは運とタイミング。ちょっとだけ実力かな(松沼雅之)